SUPER GTを始め、多くのレースを支えてきたスカイラインGTR!ニッサンGTR!

ニッサンスカイラインGTR、ニッサンGTR、ニッサンのレースにかける情熱は本当に素晴らしいです。これだけ拘って歴史を作り上げてきた、そんなマシーンが日本に無いと言っても過言ではないでしょうか。第2回日本グランプリ1964年レースシーン、こういう時代にタイムスリップしたいです。

 

第2回日本グランプリの伝説のレースシーン(昭和39年)1964年5月3日に行われましたが、なんと当時のレースを振り返りますと、とんでもない事が起きたのです。ポルシェ904GTSはレース専用のマシーンとして開発された650KgのFRP製の軽量ボディ、対するスカイラインは一般車両で1100kgと言いますから驚きです。当時は(S54B)ゴーヨンビーの愛称で呼ばれてたスカイライン。

第2回日本グランプリでは、抜きつ抜かれつのデットヒートの末、結果的には2位となりましたが、観客は総立ちで見守っていた手に汗握る、日本のモータースポーツ史上レース界に残る伝説のレースとなり、長きにわたり受け継がれてきたのです。

ハコスカの愛称で当時は敵なしの49連勝と、とんでもない記録を持ち愛されたGC10のスカイラインGTR、数々のレースシーンで伝説を作り上げて来たスカイラインやGTRみたいなクルマは、今まで日本には無かったのではないでしょうか。

 

 

CARちゃん大好きハイウェイカーズは、幼い頃からこのレースシーンを何度も写真や動画で見てきましたが、いつ見てもGTRファンのみならず、レースファンにも愛され続けています。

 

 

いつ見ても、カッコイイです、人間は寿命は100歳まで生きれば長生きと思われますが、こう言った殿堂入りのレース車両は永遠に保管される事に、将来は国の国宝となるのは間違いないでしょう。

 

 

こう言うレースシーンは当時のレースを物語る為にも、これくらいの写りが良いですね、あまり良く写ると、最近の画像に見えるため伝説のGTRと言えない様に想えます。

 

 

GC10のGTRで、ほぼニッサンはオイルショックのためにワークス活動をやめましたが、ケンメリのGTRは、長谷見昌弘さんのドライブでまだまだ日本のレースを盛り上げていました、なんとこのS20のエンジンはニッサンに残された197台だけを生産したGTRです、本当に貴重なマシーンです。

 

 

 

鉄仮面の愛称で呼ばれていたDR30スカイライン、スーパーシルエットやスカイラインターボCと言った、ド派手なボディスタイルは当時かなりの人気がありました、特に火を噴くシーンが印象に残っています。

 

 

Mr.スカイラインこと長谷見昌弘さんのスカイラインは、昭和の良き時代にチョー!ド派手で人気がありどこでも人だかりが出来ている、そんなマシーンでした。

 

 

火を噴く、スカイラインターボC! 日本のモータースポーツも盛んな時代で、後にGr-AやGr-Cはもとより、国際耐久レース、FI、F3oooと言った、途轍もないバブルの時代に突入するのですが、F3oooなどは、A組、B組と分かれて予選落ちするくらいに、有名人では近藤真彦さんや岩城滉一さんなども出場していましたね。

 

 

日本のモータースポーツ=スカイラインと言っても過言ではないでしょう!日本のモータースポーツはスカイラインやGTRなしでは語れないのです。

 

 

1988年よりGr-Aに参戦、翌年89年シリーズチャンピオンに輝いたリーボックスカイライン、長谷見昌弘/A.オロフソン組、後にGr-AでR32スカイラインはGTR全勝と言う金字塔を打ち立てる事に、まさにスカイラインGTRは凄いマシーンです。

 

 

星野一義さん、日本一早い男!の異名を引っさげて長谷見昌弘さんと日産の二枚看板で日本のモータースポーツを盛り上げてきました、こちらのお二人のレジェンド無しではニッサンのレースやスカイラインGTRは語れなかったでしょう。

 

 

 

CARちゃん大好きハイウェイカーズ!ニッサンスカイライン、GTR特集はまだまだ続きますのでお楽しみに!

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