千葉・幕張メッセでAUTOMOBILE COUNCIL 2018で開催のヘリテージカーイベント!
8月3日~5日に千葉・幕張メッセでAUTOMOBILE COUNCIL 2018で開催されたヘリテージカーイベント「AUTOMOBILE COUNCIL 2018(オートモビル カウンシル)」carview引用
トヨタ、2000GTなど高度経済成長期に誕生した名車からモビリティのMIRAIを見据える!
1967年に誕生したトヨタ2000GT。映画「007ボンドは二度死ぬ」ではボンドカーとして起用されるなど、名車として語り継がれていますが、市販前年の1966年10月、FIA(国際自動車連盟)公認のスピード・トライアルに挑戦した車両が、「トヨタ2000GTスピードトライアル」です。
茨城県谷田部(現・つくば市)の高速自動車試験場において、1万マイル(1万6000km)を平均時速206.18kmで走りきるなど、当時3つの世界記録と13の国際記録を樹立しましたが、この挑戦で培った技術が市販版の信頼性を高めることにつながったと言われています。
トヨタは、1964年の東京オリンピックをはさみ「明日はもっとよくなる」と希望を抱きエネルギーにあふれていた1960年代の名車を中心に展示を行います。さらに、東京2020オリンピック・パラリンピックでの取り組みも紹介。
「トヨタ7」は、日本グランプリ制覇を期して製作されたトヨタ初のプロトタイプレーシングカーで1968年にデビューしました。
今回展示された1969年型は第二世代のモデルで、シャシーは初代のモノコックフレームからコンベンショナルな鋼管スペースフレームへ、エンジンはV型8気筒3L NAからV型8気筒5L NAへと変更され600馬力まで出力が引き上げられました。
トヨタは1969年の日本グランプリに5台体制でエントリーしましたが、決勝ではより排気量の多い「日産 R381」「R382」に敗れ3位という結果に終わっています。
「パブリカスポーツ」は、1962年の第9回全日本自動車ショーに出展された「幻のライトウェイトスポーツカー」で、1965年に発売された小型スポーツカー、「トヨタスポーツ800」の原型となったモデルと言われています。
当時開発を指揮した長谷川龍雄主査はかつて航空機の設計技師を務め、戦闘機のコックピットのようなスライド式キャノピーや軽量化技術など、随所に航空技術の応用を見て取ることができます。
RT40型は、1957年に発売された小型セダン「トヨペットコロナ」の3代目モデルで、1964年に登場しました。当時開通したばかりの名神高速道路において10万km連続高速走行テストを実施。
ハイウェイ時代を想起させる販売戦略を展開し、発売の翌年である1965年には、当時ライバルだった「ダットサン ブルーバード」との販売競争(BC戦争)に勝利し、1968年に「カローラ」に抜かれるまで、販売台数1位を記録しました。
1950年代後半から対米輸出を始めたトヨタはその後商品力不足から一時輸出を中止していましたが、3代目コロナからは対米輸出を再び本格化させました。
トヨタが世界初の量産型燃料電池自動車として2014年12月に販売を開始したのが「MIRAI」です。自社開発のトヨタフューエルセルシステムはFCスタックや水素タンクなどで構成され、トヨタの発表では、約3分の水素充填で約650km(JC08モード)の走行が可能とのことです。
販売価格は723万6000円で、一般的なガソリン車と比べてまだまだ高価ですが、未来のエネルギーとして注目される水素を燃料とするクルマとして、販売に漕ぎ着けたことに大きな意義があります。
ニッサンセドリックスペシャルは1963年に発売されたクルマで、115馬力を発生する2.8L直列6気筒エンジンを搭載し、高級車にふさわしい動力性能が与えられました。
2835mmという長いホイールベースを活かした広大な室内空間も特徴で、今回の展示車は、東京1964オリンピック 聖火搬送車として活躍した日産ヘリテージコレクション所蔵の車両です。
1964年の東京オリンピックで聖火を運んだ日産セドリックスペシャルと燃料電池自動車MIRAIを並べて展示し、ヘリテージを尊びながらも未来を見据えた内容となっています。